人が何かを欲しいと思うとき、例えばブランドものの服とかパソコンとかお金とか、そういうものを欲するときに、手に入れたいのはそのモノ自体ではなくて、感情である。
、と昔教えてもらったことがある。
モノや状況を手に入れることによって得られる感情こそが本当に欲しいものなんだって。
例えば、ブランドものの服が欲しいときは、それを手に入れることで、
人からうらやましがられる優越感や、属したいコミュニティに属している安心感なんかが、本当のところの欲しいもの。
だから、その得たい感情が得られるのであれば、必ずしもモノ自体は手に入れなくてもいいってことですね。
ブログ:広告βで、おもしろい記事があった。
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あとは、商品というのは快感を運ぶメディアだということ。人は、快感(幸福だと、ちょっと言い過ぎかも)を商品を通じて買っている。思い出したのはCDのこと。かつて音楽市場では、音楽という情報をCDというメディアを通じて手に入れていた。ところがデータそのものが直接やりとりできて、物理メディアであるCDが要らなくなると、物理メディアをかませることで成り立っていた市場が崩れてきた。それと同じようなことが起きるかもしれない。もちろん快感はまだ、データのように直接やりとりしたりコピーしたりはできない。けれどもモノを消費することを前提としない「所有から利用」への転換が進んでいく中で、所有→廃棄を前提とした仕事の回し方をすることがリスクになってきているような印象を強くした。モノを持たなくても幸せになれるなら、それはある種の理想社会なわけで、そういった社会のなかで成り立つビジネスというのもありうるかもしれないと思う。
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モノを買ったとしても、本当に得たい感情が得られるかどうかはわからない。
ワンクッションはさんでる分、ちょっとズレたものになるかもしれないし、
買ったものの「なんか違うなぁー」ってなるかもしれない。
もう少しダイレクトに、またはそれに近い形で、モノをはさまずに得たい感情を得られたら、そのサービスは安くてすむし、エコにもなるんだと思う。
ある程度いくと、それって麻薬と同じになっちゃうのかもしれないけど。