広告がブランドを築き上げると考えるのは誤りである。
広告はブランドに対する注意を喚起するものにすぎない。
(コトラー)
ブランドは、顧客がその名前とともに味わう経験の積み重ねだ、
というのが、いくつかのブランドの書籍を読んで腹に落ちたこと。
広告そのものではブランドを作ることはできないけど、
直接的にモノを売ろうとする広告ではなくて、
ブランドの狙う経験を提供できる仕組みができたうえで、
そのブランドに注意を向けてもらう広告をうつほうが
長期的には成功する。
そのとき、広告ってテレビや新聞やラジオだけじゃなくて、
イベントのスポンサーになるとか、ニュースになるような
活動を行うといった方向に費用を使うことも視野に入ってくる。
むしろ、広告にまみれちゃってる今では、
ブランド&PRでプロモーションしていくような方法のほうが
ずっと費用対効果が高いんじゃないかと思う。
クライアントのPPCの報告書を作成していて、
1週間のコンバージョン数よりもアシスト数が多い場合がありました。
「アシスト」とは、1度キーワードAでサイトに訪れたものの、
そのときには購入にはいたらず、次回、キーワードBでサイトに
訪れて購入にいたった場合、
キーワードBにコンバージョン1がカウントされ、
キーワードAにアシスト1がカウントされる。
というもの。
ポイントはどちらもオーバーチュアの広告をクリックしたもの
じゃないとキーワードAはアシストにならない、ということ。
例えば、キーワードAをクリックしてサイトに訪れたものの、
そのときは購入にいたらず、次回「お気に入り」から訪問して
購入にいたった場合は、キーワードAは"アシスト"ではなく、
"コンバージョン"にカウントされる、とのこと。
つまりつまり、そう考えると、次のようなことが成り立つ。
①オーバーチュアで掲載されたキーワードA広告をクリックしてサイト訪問
②その時は購入しないでかえる
③次回、そのお店の名前で検索して広告を踏まずにサイト訪問
④その時に購入する。
このとき、コンバージョンしたキーワードはお店の名前ですが、
お店の名前はオーバーチュア広告経由ではないため、
オーバーチュアではキーワードAがコンバージョンとしてカウントされる(たぶん)
本来は
キーワードA アシスト1
お店の名前 コンバージョン1
というのが正しいのだろうけど、システム上それは難しいということ
なんだろう。(違ったら訂正します)
ところで、話を戻して、アシスト数のほうがコンバージョン数よりも
多いケースがあった場合について考えてみる。
コンバージョンのほうが多いのはよくあることだとしても
アシスト数が多いというのはどうことだろ?
そこで、シンプルに同じ人がいろいろな広告を踏んで、最後に
コンバージョンにいたったのだと思い至った。
自分に合うサプリメントを探している人がいたとする。
その人は、
①「サプリ 健康」で検索しオーバーチュア広告を踏んで
サイトに訪れたものの買わなかった。
②次に「サプリ ビタミン」で検索しオーバーチュア広告を踏んで
サイトに訪れたものの買わなかった。
③次に「サプリメント 東京」で検索してオーバーチュア広告を踏んで
サイトに訪れたものの買わなかった。
④最後に「サプリメント 肌荒れ」で検索してオーバーチュア広告を踏んで
サイトに訪れて、購入にいたった。
という動きをしたとする。
そうすると、
「サプリ 健康」 アシスト 1
「サプリ ビタミン」 アシスト 1
「サプリメント 東京」 アシスト 1
「サプリメント 肌荒れ」 コンバージョン 1
となる。
こういうケースの場合、アシスト3、コンバージョン1という
アシスト>コンバージョン の状況が生まれる。
この人の場合、4つのキーワードで検索して(あるいはもっと検索したかもしれないが)
4度同じサイトに行き着いたため、信頼性を感じて購入にいたった可能性もある。
どちらにしろ、
アシストがカウントされている以上は、ホットなターゲットに響いたキーワードである
ことは間違いないから、重要視しておいたほうがいいと言えそう。
人が何かを欲しいと思うとき、例えばブランドものの服とかパソコンとかお金とか、そういうものを欲するときに、手に入れたいのはそのモノ自体ではなくて、感情である。
、と昔教えてもらったことがある。
モノや状況を手に入れることによって得られる感情こそが本当に欲しいものなんだって。
例えば、ブランドものの服が欲しいときは、それを手に入れることで、
人からうらやましがられる優越感や、属したいコミュニティに属している安心感なんかが、本当のところの欲しいもの。
だから、その得たい感情が得られるのであれば、必ずしもモノ自体は手に入れなくてもいいってことですね。
ブログ:広告βで、おもしろい記事があった。
-------------------------------------------------------------------
あとは、商品というのは快感を運ぶメディアだということ。人は、快感(幸福だと、ちょっと言い過ぎかも)を商品を通じて買っている。思い出したのはCDのこと。かつて音楽市場では、音楽という情報をCDというメディアを通じて手に入れていた。ところがデータそのものが直接やりとりできて、物理メディアであるCDが要らなくなると、物理メディアをかませることで成り立っていた市場が崩れてきた。それと同じようなことが起きるかもしれない。もちろん快感はまだ、データのように直接やりとりしたりコピーしたりはできない。けれどもモノを消費することを前提としない「所有から利用」への転換が進んでいく中で、所有→廃棄を前提とした仕事の回し方をすることがリスクになってきているような印象を強くした。モノを持たなくても幸せになれるなら、それはある種の理想社会なわけで、そういった社会のなかで成り立つビジネスというのもありうるかもしれないと思う。
-------------------------------------------------------------------
モノを買ったとしても、本当に得たい感情が得られるかどうかはわからない。
ワンクッションはさんでる分、ちょっとズレたものになるかもしれないし、
買ったものの「なんか違うなぁー」ってなるかもしれない。
もう少しダイレクトに、またはそれに近い形で、モノをはさまずに得たい感情を得られたら、そのサービスは安くてすむし、エコにもなるんだと思う。
ある程度いくと、それって麻薬と同じになっちゃうのかもしれないけど。
知人が、どこかのセミナーで聞いたという話。
アクセスを集めるために理想的な更新頻度は、
なんと、1日3回更新らしい。
かなりのハードルの高さ。
初めてブログを書くような人にはそうとうな難易度だろうと思う。
慣れてくれば、実現できるかな。
しょこたんは1日80回も更新したらしいし。
有意義な知的生産をするにはどうしたらいいだろうと、よく考える。
本を読むこと・学ぶことは大好きだけど、
知的生産とは、それを自分のフィルターに通して出てくるものを
またアウトプットするということ。
時間をとって考えることなしには良いアウトプットはできない。
自分の学んだこと・考えたことをしっかり書いていこう、ということで、
僕、tacshockはあらためてブログをスタートするのでした。
タイトルはguncy